タローさんちの、えんがわ

「音楽をする」って、 「音楽的に生きる」ってこと

タイムとミツバチと、それから春の日々

ミツバチの羽音やクマンバチの羽音が庭に響き渡るようになると、ようやく春を迎えたな~という実感が湧く。今年はタイムの範囲が更に拡がって、庭が一面ピンクに彩られているので、ミツバチたちの群が来るのを心待ちにしていた。何といっても、いろんな種類の鳥たちの歌に交じって羽音が響き渡るのは、たまらなく美しい。

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タイムは石の上なんかが大好きなので、庭よりも建物に押し寄せてくる(笑)

とは言え、まだ朝方は5度を下回ることあるので、朝夕は肌寒い。逆に日が高くなると汗ばむくらいの陽気になるものだから、草刈りはタンポポカモミールたちが完全に開花しきってハチたちがやってくる時間までにしている。

 

ところで我が家のタイムの蜜は、一体どこに集められているんだろう(笑)?空き家のままで、廃墟のようになってしまった我が家の巣箱ではないようだけれど。

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花に陽が当たり始めると、ミツバチがいっせいに飛んでくる

さて、この前久しぶりに意気揚々とキックボード(最近はキックスクーターって言うのかな)で近所に出かけたら、道の凸凹に前輪がハマって、盛大に路上でこけてしまった。近所にフクちゃんという、最近毛が抜けて衰えてしまったコーギー(犬)がいるんだけれど、そこのオジサンがちょうど帰宅したところで、フクちゃんとオジサンに挨拶しようとよそ見した瞬間の出来事だった。

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膝すりむいたの、何年ぶりだろう…筋力落ちてるのも実感…こりゃいかん!

慌てて手をつき起き上がると、Gパンの膝がド派手に破れている。つまり、子供のように膝をすりむいてしまった訳だけど、こういうケガをしたりすると何だか脳が活性化しているような感覚がする。頭の回転が突然速くなる瞬間があったり、風景が鮮やかに見える瞬間があったりする。不思議だけれど、ケガした時の人間の感覚って、そういうものかも知れないなぁ。大きいケガはもちろん、しないに越したことはないけれど、小さなケガもしないような暮らしをしていると、何か自分に備わっている能力を活かしきれていないような気持にもなる。

 

たとえば、我が家の庭にはトゲトゲの奴らがはびこったりするので、草刈りには注意が必要だし、少し放置したりすると奴らが方々に伸び散らかして、なかなか厄介なことになる。草を刈る際に、気を付けてはいても、毎度少しはチクリと刺さることなんかもあるので、基本的に厚手の手袋は必須なんだけれど…こうして草刈りをしていると、手袋なんかがろくになかった昔の人は、イバラやトゲトゲたちにどう対処していたのかなぁ、と想いを巡らしてしまう。

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庭のど真ん中に陣取っているジューンベリー

でも、僕も庭に出てたまたま目について手袋を取りに行くのが面倒な時なんかは、そのまま素手で草刈りを始めてしまうこともある。そんな時は、トゲトゲが潜んでいることも見越してか、左手の使い方が自然に変わっていたりする。

 

草むらに手を差し入れる時、独特の柔らかい感覚になって手を入れる訳だけれど、トゲトゲをつかむ際も自然に柔らかく持つようになる。もちろん出来るだけトゲの個所を避けて持とうとはするんだけど、触れた瞬間に「刺さらない」手になれるというか…フワリとした手で草に触れることで、センサー能力が高まっているから、棘の上から持ったり掴んだりしても、刺さらなかったりする。

 

こういう時はまるで、自分の肌が別の状態に変化しているような感覚にもなっている。このような感覚を、日常のすべての事象に応用できないかな、と常々考えたりしている。何かとても重要な「技術」が、この感覚には隠されているんじゃないだろうか。

 

さて、今週末には数日間大分に赴く。大分の山香にあるカテリーナ古楽研究所のイベント、「Sing Bird」に出演するためだ。カテリーナ古楽研究所の創設者・松本公博さんが急逝されたのは、昨年の秋…僕がトランシルヴァニアバスクアルメニアジョージアを巡っての旅から、帰国して直後のことだった。

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5月11日の、祈りの夜に出演…アルメニアの曲も2曲入っている

公博さんと出会ったのは10年ちょい前のことだけれど、自給自足生活をしながら古楽器を製作し、社会に蔓延する思い込みや近代的思考と闘ってきた公博さんとは、最初にお会いした時から他人とは思えない程、共鳴するものがあった。自分以外の人で、そして自分よりも先に、同じようなことをたくさん考えて、同じようなことをたくさん試して、自分よりもずっと力強く生きてこられた人…そういう人に出会えて、純粋な感動を覚えた。

 

僕の中では、公博さんとしか共有できないような話(他の人と話しても心底では共有できないような話)が幾つもあった。なので、2018年の旅で目にした音楽や楽器やそれらの文化について、話したいことや見せたいことがいっぱいあったんだけれど…それは叶わなかった。しかし(ちょうど神道で四十九日にあたる五十日祭の前夜に)山香を訪れ、その際にご遺影の前でカテリーナのご家族皆さんと旅の話や音楽の話を長々としたから、きっと公博さんとも共有できたんじゃないかな、とは思っている。

 

カテリーナの皆さんとは以前、古楽研究所や竹田・長湯でのコンサートを企画して頂いた際などにご一緒させて頂いたことはあるが、このSing Birdとは縁がなくて、僕は出演したことはなかった。今回16回目の開催、そして今回がファイナルとなるこのイベント…公博さんがいないこのタイミングでようやく出演することになったのも、何だか不思議な気持ちがする。

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左から、Shvi、TabShvi、Blul...Blulはアプリコット木だから、果実の香りがする

今回演奏内容の大半が、中世の音楽。僕は昔から中世やルネッサンス時代の音楽には親しみがあるが、この舞台には全曲、練習し始めたばかりのアルメニアの笛で、しかもカテリーナの未來君(公博さんの息子の)に譲ってもらった古竹で製作した笛で、のぞむことに決めた。南米の笛やケルト系の笛のような、自分にとって慣れた楽器ではないし、自分が想うようなイメージの演奏に成り得るかは分からないけれど、遊びやチャレンジでのぞむ方が、公博さん追悼のステージにはふさわしい気がしたから。

 

カテリーナさんに、特に公博さんに所縁のある演奏家が集まっての大合奏。どんなサウンドになるのか、今から楽しみ。https://www.singbirdconcert.com/day1

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我が家の芋虫たちが次々アゲハに…これからはアゲハたちが乱舞する季節

それにしても、美しい季節。陽のある時間全てを、外で過ごしたいくらい。本格的な夏が来るまでは、できるだけ外にいようと思う。

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天気が良ければ、外でご飯も仕事も…裸足でいられるようにしてある