「冬至の日と、夏至の日は、仕事を入れない」と決めたこと…「その日は冬至(夏至)なので!」と言って、他の用事を入れない暮らしを始めたことで、気付かされたことや得られた安心感のようなものは、予想していた以上に大きかった。自分が何を優先していくのかを宣言することで、明確になることってあるんだなぁと改めて思う。
「生きて行かなくちゃいけないから」「仕事優先で」って言い回しは、自他ともに納得させることが出来る、世間的で便利な言い回しではあるけれど、それはある意味「稼ぎ優先・外でのつながり優先」ってことでもある。「平日・休日(曜日の別)」にしても、考えてみればこれらは「世の中そうだから」「みんなそうだから」というのと同じで、極めて受動的な感覚・生き方とも言える。自分の思考や行動が、何に縛られているのか、どこからがホントの意味で自由になり得ていないのか…これからの時代は、より敏感になった方がいいんじゃないかな、とも思う。
さて、去る22日には恒例の冬至祭が行われた。もちろん平日休日に関係なく、冬至の日に行われる。毎年投稿しているように(冬至・夏至の祭については昨年以前の投稿ご参照)、これは地域住民しか参加できない「閉じた祭」で、言うなれば地域住民だけのパーティー・地域住民同士だけのデートのようなものとも言える。パーティーやデートを、多くの人に見せようとか、多くの人に参加してもらおうとか、それによって収益を上げよう…なんて考える人はいないだろう。そんな風にしたら、それはもはやパーティーやデートじゃない。同じように、今この国で行われている祭は、祭のようであって実は祭ではない。集客を伸ばすことが、収益上げることが、地域や暮らしの「活性」化?…これは、人間の社会や文化について、あまりにも浅薄な発想だと思う。
「京北村民歌舞プロジェクト」という名前で立ち上げた、「一から地域音楽文化を創ってしまおう」計画は、いわゆる民族音楽と呼ばれるもの(民族という言葉で縦分けすること自体、実際に矛盾や限界を生じさせるので、僕は普段は地域的音楽と呼んでいる)に長年関わってきた僕のような人間にとっては、ある意味究極のプロジェクトだろうなと思う。
僕が暮らすような田舎には、土地に対してそれぞれの必然性を持ち得た人々が、それぞれの縁によって集まってきて、それぞれの形で根を下ろして暮らしている。そのようなプロジェクトをスタートさせるのには、ピッタリの場所だと思ったんだけど…やはり人々の中に刻み込まれた「現在の商業主義・音楽教育が落とす影」が色濃くて、本当の意味で原初的な音楽文化をより多くの人に体験してもらうには(楽器や音楽を原初的発想で一から生み出していくには)、ハードルが高いのだと気付かされた。楽器を作るにしても音楽を作るにしても、そのイメージ・鋳型は、教育と商業を通したものからしか出てこない。どうしても、自分が知ってる楽器に似せたイメージで楽器を作ろうとしたり、ドレミやコードをまずは出そうとしたり、よくある商業音楽のような旋律しか出てこなかったりしてしまうものだ。
現在の音楽教育というのは、実は「思想教育」でもあるので、僕の考えるプロジェクトは「現在この社会に生きる人々の中に植え込まれた、近代的で全体主義的で絶対主義的で新自由主義的で経済至上主義的な思想」を、ひっくり返そうとしていることなのだと、改めて気付かされた。
ホントは、その辺をチャラララン♫と、軽やかにひるがえして行きたいんだけど。
そこで、やはり「身体的に体験する・そうして体験する時間を重ねてゆく」のがベストなのかも…と思い至り、地元の友人たちと、この「冬至祭・夏至祭」を始めた。祭の中には音楽や踊りの原初的体験が含まれているし、情報や知識がなくても、身体的体験というのは原初的な創造性を各自の中で自然に開いてゆく。また、今の日本は「願いと祈りを混同した社会」で、「祈り」を見失ってもいるから、そういう意味でも本当の意味での祭は必要なんじゃないかなと感じていた。
背景としては、かなりディープなことを考えた上で企画しているんだけど、実際やる分には「大人が本気で遊ぶ」というのが正しい。しかもこういうのは、ゆる~くやるのがいい。パーティーやデートは、気張ると野暮だし、ワクワクやドキドキがあってはじめて素敵なパーティーやデートになる。
そして2019年冬至。僕はいつものことながら、友人たちの創造性に驚かされ、楽しませてもらってる。素敵な表現活動は、すぐ身近にある。それは、多くの人に発信しようとか、見せようとか、そこで認められようとか、個別の価値を上げていこうとか…そういう、しょうもないというか、こまいものじゃない。身近な人々で共有する芸術が、常に創られ続けることに、文化の本来の意味がある。
冬至祭の時空間を一緒に創り上げている、地域の友人たちに感謝。