タローさんちの、えんがわ

「音楽をする」って、 「音楽的に生きる」ってこと

ノルウェーの風 in 京北

ノルウェーの詩人・児童文学作家・映像作家のオドヴェイグさんご夫妻を迎えての数日。いやぁ、楽しかった…。僕の英語はつたないものだけれど、芭蕉由縁の伊賀や、奈良、京都、特に地元・京北でご一緒しながら、様々なことについて話した。感じることや、表現すること、それから行動することについて。

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ノルウェーの茅葺と日本の茅葺…親しみを感じるのは、意外なところから

共感するところがとても多くて、そして大いに学ばされた。オドヴェイグさんは、詩や文学、映像といった表現だけでなく、環境保全やその他様々な社会運動にも関わってきた人だから。

 

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我が家での朝ご飯。お二人ともチャーミング。

僕は昔から、音楽家の人と話している時よりも、別の表現をしている人と話している時の方が、人間の内奥に音楽の所在を感じることが多い。

今回のきっかけとなったのは、発足以来何かとご一緒させて頂いている国際詩人協会JUNPAの催しだった。その催しに合わせて来日していたオドヴェイグさん・ビョルンさんご夫妻は、その後しばらく日本に滞在するとのことだったので、直観的な思い付きから僕の地元・京北で、地域に住む人々を対象とした催しをやってみないかと持ち掛けてみたところ、オドヴェイグさんが快く了承してくれて、今回の催し「ノルウェーの風」が実現した。

 

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JUNPAの授賞式では、今回来日したユーリさん・オドヴェイグさん、お二人の詩人のために、エストニアノルウェーの音楽を演奏した。

 

僕は30年以上前からノルウェーを含む北欧の音楽は耳にしてきた(むしろ子供の頃から世界中の音楽を聴いてきた訳だけれど)。ノルウェーにはseljefløyte(セリエ・フレーテ)という笛があるけれど、これは「春の笛」で、そもそも、年がら年中演奏するような楽器ではない。季節や自然の流れと共にある楽器が通年で用いられるようになる時…文化に、人間の思考の中に、何が起こっているかを深く捉え考える人は、今の日本にはとても少ない。

 

オドヴェイグさんはハルダンゲル地方のご出身だが、この地方の名を聞くと音楽好きの方々が真っ先に思い浮かべるのが、Hardingfele(ハーディングフィーレ、もしくはハルダンゲル・ヴァイオリン)だろう。オドヴェイグさんの先祖は、この楽器を創始した一人だそうだ。普段から、映像作家の娘さんと様々な映像作品やドキュメンタリーも製作しているオドヴェイグさんは、近々Hardingfeleに関するドキュメンタリーも製作するご予定だとか。

 

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オドヴェイグさんの映画作品「紙飛行機」と「BikeBird」を上映

さて、去る2月29日に地元京北で催されたこの会は、地元京北の友人フェイランさんの会社Rootsが管理する古民家tehenで行われた。集まった人々は、主に近所に住む色んな世代の人々で、子どもやご年配を含んでおり、ポエトリー・リーディング(詩の朗読会)も、翻訳されていない外国語の映像作品を観るのも、生まれて初めてという人が多かった。

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オドヴェイグさんがご自身の写真で構成してくれたスライドショーで、ノルウェーの自然と暮らしを紹介…皆さんは興味津々

まず最初に、僕と洋子さんでノルウェーハリングと呼ばれるダンス曲を演奏。それから睡蓮という曲と、セリエフレーテの曲を。その後オドヴェイグさんご自身の写真によるスライドショーと、ノルウェーの暮らしのご紹介。これがとても良かった。多くの人々はノルウェーのことを知らない。しかし、オドヴェイグさん・ビョルンさんご夫妻が京北に来る途中の道で、山々を抜けていく道に「故郷のハルダンゲルみたい!」と喜ばれたように、京北とノルウェーの田舎はどこか共鳴するものがあるのか…参加された方々は皆、次々に映し出されるノルウェーの自然や田舎の風景に興味津々だった。

 

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ハリングほか、ノルウェーの音楽を三曲ほど演奏

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ノルウェー語と日本語による、詩の朗読

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NHK日本賞のファイナルノミネートを受けた「BikeBird」…名作です

 

その後、2019年NHKの海外短編映画の日本賞ファイナルノミネートを受けた作品「BikeBird」の上映。この映画はアフガニスタンからノルウェーにやって来た移民の女の子の話だが、長年移民問題にも関わってきたオドヴェイグさんの、人々に対するあたたかい目線が伺える、ストレートで感動的な話。
※BikeBirdあらすじ
【ザーラはアフガニスタンから戦火を逃れてノルウェーにやって来ました。通っている学校は遠くて、ノルウェーの友達はみんな自転車に乗っているものですから、ザーラはどうしても自分でも自転車に乗ってみたいのです。
しかし故郷のアフガニスタンでは、女の子が自転車に乗ることは「はしたない」と、後ろ指を指されることなのです。お母さんも許してくれないし、お父さんも絶対に許してくれません。
それどころか、アフガニスタンからノルウェーにやって来た人々は、いつノルウェーを追い出されるか分からない不安の中で暮らしています。ノルウェーで新しい生活に慣れたとしても、もしアフガニスタンに追い返されることになってしまったら、そのことでかえってザーラは傷つくことになるかも知れない。お母さんやお父さんは、そんな心配も抱えているのです。
しかし、ザーラはあきらめません。ある日、お兄さんがノルウェーの女の子とデートしているところを目撃したザーラは、ある作戦を思いつきます】


続けて、昔の作品だけどオドヴェイグさんが書いた児童文学を基にした映像作品「紙飛行機」。英語字幕なしの、原語ノルウェー語のみによる上映だったから、参加者の皆さん、特に子供たちはどうかなぁと思ってたけれど…言葉が分からないはずなのに、子どもたちは多くを受け取っていて、驚かされた。何となく泣いてる子供、自分も紙飛行機を折っている子供、静かに黙って見入っている子供。
何ていうのかな、こういうの。

 

※紙飛行機あらすじ

【一番の仲良しだった、ヤンとヨアキム。二人はいつも、一緒に遊んでいました。ヨアキムは紙飛行機を作るのが得意で、ヤンはヨアキムに紙飛行機のつくり方を教えてもらっていました。
ところがある日、ヨアキムは病院に運ばれていき、そして、そのまま帰ってこなかったのです。
幼稚園の先生は、ヨアキムがどんなにいい子だったかを忘れないでって言いました。でもヤンは納得できません。死んだら消えてしまうのか、それともどこかに行ってしまうのか。ヤンはぽっかり空いた心の穴を埋めようと、いろんな人に尋ねます。
お母さんに尋ねると、お母さんは「土を見て。私たちが死んだら土になるのよ。その土から新しい花や木が育ち、鳥だってその木に住めるようになるの。」と言いました。
友達はみんな「ヨアキムは天国に行ったんだ、神様の所にいるんだよ」と言います。おばあちゃんに尋ねたら、「天国は空の上にあるんだよ」と教えてくれました。でも、飛行機の上からそんなものは見えなかった…。
天国なんて、見えやしない。自分が死ぬまで、ヨアキムに会えないなんて、そんなの待てない。どうすればいいんだろう。ヤンは考えます。】

そういえば、僕たちが日本語で何気なく話している時に、日本語が分からないはずのオドヴェイグさんが瞬間に同じことを話しかけてきたりすることが、度々あった。感性が開いている人って、こういうもんなんだと再認識させられ

 

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買ってきたものは一つもなくて、全てが手作り料理なのが、京北パーティーの素敵なところ

その後、詩の朗読を経て、交流会・食事会へ。京北で行われるこういった催しでは、度々持ち寄りパーティー形式がとられている。買ってきたものなどではなく、それぞれが作ったものを持ち寄る。オドヴェイグさん&ビョルンさんも、そういう空気感というか文化というか…それがとても気に入られたようだった(僕自身、お二人にはこの空気を味わって欲しかった)。

 

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ビョルンさんによる「ノルウェーの歌を皆で歌おう」コーナー

それから改めて、詩の朗読と詩に映像を付けた作品の上映、そしてビョルンさんによるノルウェーの歌を一緒に歌おうコーナー。中でも、ノルウェーの人々の歴史を歌った歌(この地を故郷とすると決めた人々の、道のりの歌)は、内容も面白くて、大きな反響があった。何て盛沢山な企画だろう(笑)

 

   ※この日のために、土山亮子さんが訳してくれたこの歌は以下の通り

              「丘と⼭のあいだ」

           海の近く、丘と山のあいだに
           ノルウェー人は故郷を見つけた
           みずから地面を掘り、土台を築いて
           その上に家を建てた

           彼は岩で覆われた浜辺を見つめた
           それまでこの地に手をつけたものはいなかった
           「地面をならして、村を築こう
           そして我々がこの開拓地の主となるんだ」

           彼は荒れる海を見渡した
           上陸するのは危険なところだった
           しかし海の底には魚がたわむれていた
           このたわむれこそ彼の望む景色だった

           冬の間、時には思うこともあった
           「もっと暖かい地にいられたらなあ!」
           しかし春の太陽が丘の間にきらめく時
           故郷の浜辺を恋しく思った

           そして丘が庭々のように緑になり
           麦の穂先はすべて花で覆われ
           夜が昼のように明るくなる頃
           この地ほど美しい場所はどこにもなかった

 

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最終日お二人が宿泊した、近所のランさんちでの朝食

オドヴェイグさんの表現は、その全ての根底に、自身への問いかけと、人々への問いかけ、そして祈りがある。考えや、主張を、一方的に発しようとか、受け取らせようとするようなものではない。だからこそ、国籍にも世代にも関係なく、様々な人の心に響くのだろう。僕ははからずも、何度も涙ぐんでしまった。僕にしては珍しい。 

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イベント終了後、企画メンバー&フェイランさんちの一家

 驚いたことに、小さな子供たちの多くが集中力を切らさずに、映像に見入っていた。そして自分たちも紙飛行機を作り、耳にした詩を反復していた。また、多くの人が「自分も詩を書いてみたい」と言い、そして近所のおじさんまでが「オドヴェイグさんやビョルンさんと直接、話してみたい」と仰っていた。これはすごいことだと思った。 

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「日本に行ったら絶対芭蕉の生家を訪ねる!」と仰ってたオドヴェイグさん。芭蕉ミュージアム芭蕉になりきっておられます。

 

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奈良案内の際に同行してくれた、ノルウェー語堪能な土山亮子さんと

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お二人とも、お箸には果敢にチャレンジ

Hardingfeleは、旋律を演奏する弦以外に共鳴する弦が張られた弦楽器だ。旋律を奏でれば、楽器に張られた他の共鳴弦が響き、えもいわれぬような響きになる。オドヴェイグさん・ビョルンさんを囲んだ夜は、このtehenという古民家が、そんな楽器になったような夜だった。

 

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