タローさんちの、えんがわ

「音楽をする」って、 「音楽的に生きる」ってこと

今年も大学での講義、始まる

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投稿内容とは関係ないけど、先日美山の友人の所でタイミングよく藍の花を見せてもらった。香りは凄いが…とにかく美しい。

 

大阪大学で受け持っている授業「共生の技法」が、今年も始まった…といってもこのコロナ騒ぎで今は対面授業が行えないので、少なくとも4月の間は学生さんたちとメールのやり取りで授業を進めることになった。つまり、33人と文通(笑)

 

昨年から「手をつないで輪になって踊る」踊りの実習も授業に加わっているけれど、モロに「濃厚接触を薦める」内容なので(笑)、これはコロナ騒ぎが収束するまで、しばらくお預けになる。楽しみにしてくれてた学生さんたちも多いんだけど。

 

授業でどんなことやってるのか、毎年興味を持ってくれる方も多いので…学生さんとのやり取りはもちろん、ここではお見せできないけれど、最初のオリエンテーションで、僕から学生さんたちに配るイントロダクションだけ、チョコっと紹介。

長いので、興味のある方だけどうぞ。

 

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ジューンベリーがようやく開花。昨年はヒヨドリの襲来で一粒も口に入らなかった…が、今年はそうはいかない。

 

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この授業には、「ヒトはなぜ、歌い踊るのか」という副題がついています。もちろん授業では、皆さんが想像されるように、世界各地の音楽や踊りの文化、その背景にある世界観やものの考え方について、紹介したりもします。しかしそれは単に、「皆さんにそういった文化を知ってもらう」ためではありません。皆さんに、「人間と人間の関りとは何か」「文化とは何か」について考えてもらうため、ひいては「人間の創造性とは何か」「しあわせとは何か」について考えてもらうためです。

 

つまりこの授業は、皆さんが「普段の自分の感性や思考」を見つめ直し、人間について・社会について・人と人の関りについて、そして皆さんの内にある「創造性」と「しあわせ」について考える機会となることを目指しています。

 

そのためにはまず、成績とか単位とか…そういった、本当はどうでもいいこと(笑)は、しばらく脇に置いて、この授業を「トークショー」か何かだと思って、毎回気軽に楽しんでいただけたらと思います。

 

さて…皆さんは「ミュージック」という言葉と、「音楽」という言葉が、元は同じ意味でなかったのはご存知でしょうか。なぜ音を「おと」と言うのか、なぜ「音」という文字がこのような形をしているのか、考えたことはあるでしょうか。

 

多くの人は、言葉の本来の意味…「その言葉が元々何を指そうとしていたか」を知らないまま、ただ使っています。言葉という「音」や文字という「形」が、何を表そうとしていたのかを知るよりも先に、その言葉がどんな時・どんな風に使われているか、どんな効果があるのかを知り、周囲の人々と同じような「やり取り」が出来たら、「それ以上は知ろうとすることなく、ただ使いながら生きている」訳です。

 

「よく知っている訳ではない言葉」で、自分の思考を形作り、誰かと意思の疎通をし、関りをつくっている。これは、調律されていない楽器・よく知らない楽器を、ただ皆と同じように、「とりあえず鳴らしながら、自分なりに奏で、そしてそれを使って誰かと合奏しようとしている」ようなものです。

 

これはもちろん、オンガクやオトなどの言葉に限ったことではありません。皆さんにとって、生きていく上で重要な幾つもの言葉…自分・生きる・暮らす・はたらく・関わる・感じる・考える・喜ぶ・悲しむ・個性・豊か・しあわせ…皆さんはそれらの言葉について、どれくらいの知識があるでしょうか。それらについて考えているつもりでも、実は「そうではない何か」について考えてしまっているとしたら、どうでしょう。

 

また、現在の日本ではほとんどの人が「商業と教育を通して」、音楽と呼ぶものに出会います。世の中にあふれる音楽の大半は、商業(貨幣経済、近代的な枠組みの中で作られた)音楽です。アートや芸術・芸能と呼ばれるものも、たいていは商業の枠組みの中で作られています。皆さんも、音楽と言えば「買ったり、ダウンロードできる」形に作られた「商品」や、「録音されたもの・録音できるもの」を思い浮かべる人が大半ではないでしょうか。

 

また、皆さんがもし音楽をやってみたいと思うなら、ほとんどの場合「習い事(先生や先輩などを通して)」や「買い物(楽器や教則本の購入)」を通して、始めることになるでしょう。音楽と呼ばれる文化は、貨幣経済や商業、教育や習い事、それどころかアートや芸術という概念が生まれるよりも遥か昔から、人類と共にあったにも関わらず…。「音楽は自己表現だ」という言い回しも世間にありますが、自己や表現という概念は、いつ誕生したのでしょう。それは、音楽と同じくらい古くからあると、皆さんは思っていますか。

 

そう考えると、私たちは普段まるで「それについて知っているかのように」、音楽について考え、音楽について語ってしまうものですが、果たして本当に私たちは、「音楽と呼ぶものに、出会ったことがあるのか」分からなくなりますね。私たちの「音楽体験」は、少なくとも近代以前の人々の「音楽体験」とは、異なるのかも知れません。

 

多くの人々は、「知らないもの」に対してまるで「知っているかのような錯覚を抱き」、それについて考えようとしてしまいます。そうして実は、考えようとしていたものごととは、「別のものごと」について、考えてしまっていることが多いのです。周囲の人の大半がそうであるならば、そのことを自覚するのも難しい。だからこそ、私たちの世界・社会・人間関係、そして私たちの思考は、今でも「問題を生産し続けている」とも言えます。

 

この授業のテーマの一つに、「思い込みを捨てる」というのがあります。皆さんは、自分自身にどんな「思い込み」があるのか、日々自分の思考や感情を観察していますか。

 

皆さんはこれからの人生で、誰か(他者)との共生関係、自分自身との共生関係、環境との共生関係、様々な知識や情報との共生関係を築いていくことになります。そこで最も大きな障壁となるのが「思い込み」です。「思い込み」は、「早合点」という厄介な癖ももたらし、新たな情報や知識の遮断、情報の安易な書き換えや置き換え、そして思考停止を招きます。特に現代人は、何かと忙しすぎるので(笑)…常に「潜在的に」思考停止したがっています。

 

一口に「思い込み」といっても、「個人的な思い込み」もあれば、「ある社会や特定の集団・組織が抱いている思い込み」、「その時代特有の思い込み」等もあります。人間は生まれた時から、親・兄弟姉妹・先生・周囲の大人・知人友人たちによって、「既に自分たちの間で共有されていた思い込み」を、「それを良かれとして」彼らに書き込まれながら、歳を重ねていきます。

 

そもそも社会(人間の集団)は、仲間を増やすために「思い込みを共有させたがる」ものです。個人も、「社会と同じ思い込み」を共有していた方が、何かと生きやすい。周囲の人々とも仲間になりやすいし、居場所も与えられやすい。理解もされやすいし、評価も与えられやすい。いちいち考えなくて済むし、ものごとを選択しやすくなり、行動もとりやすくなる。

 

「カシコク生きよう・効率よく生きよう」と思えば思うほど、そこにある「思い込み」を共有することになってしまいます。それが家庭であっても、学校であっても、サークルであっても、会社であっても。そして自分自身でも、書き込まれたものの上からなぞるようにして、思い込みを強化していきます。

 

しかし皆さんには、ここで大切なことを知っておいて欲しいと思います。世の中は「AはBである」ということを、教えたがるものですが、「AはBである」というようなことをいっぱい覚えることが、「大人になる」ということではありません。ましてや、それが「人間として成熟する」ということに、つながる訳ではありません。むしろ、逆だと言った方がいいでしょう。

 

よく「オープンになる」とか「心を開く」というような言葉がありますが、それは世の中に溢れている「AはBだよね」というようなものごとに対して、「ホントは、そうじゃないかも…」と、心のどこかで思えるような余白・隙間を自分の内側につくっておくことを言います。ひらくと、ひろげるは、同じ音から生れた言葉ですからね。

 

社会の中の、ある集団と「思い込みを共有しようとする」ことは、言うなれば「その集団に合わせよう」という意識の表れですが…その背景には必ず「それによって、社会・集団から多く(承認や評価や理解・愛情、貨幣などなど)を得よう」という思考・思惑が隠れています。

 

たとえ能動的に見える人でも、本人が能動的だと思い込んでいても…実はそういう思考・思惑を抱いている人は「極めて受動的」な思考の持ち主であることがほとんどです。ゲットしたい!という想いの高さが行動に表れ、それが能動的に見えるだけで。

 

受動的な思考・発想の状態…それこそが「創造的であること」から、一番遠い状態です。

 

皆さんには授業を通して、これまで自分自身に「書き込まれてきたもの」や、自分自身で「書き込んできたもの」を改めて見つめ直し、それらが本当に自分の人生に必要なものなのか、これからの自分にとって本当に有効にはたらくものなのか、「能動的に」考えてみて欲しいと思います。何故かと言いますと、今は「時代が大きく変わろうとしている時」で、多くの人々が迷っている時だからです。生き方や、ものごとの価値観、何が豊かで何がしあわせなのか…これまでのように、「AはBなんでしょ」というところで、「思考停止」してはいられなくなってきます。

 

皆さんの「しあわせ」は、皆さんのこれからの「創造性」にかかっています。その扉を開くことが、この授業の目的とも言えます。大きく開けずとも、隙間くらいでも、構いません。まぁ、この授業をとったということは、皆さんの中にそういう直感や、欲求が既にあったということだと思っています。

 

自分自身に対して好奇心をはたらかせ、この授業を受けたことも含めて、今までの自分の歩みを信頼し、これから夏までの間この授業を楽しんでください。よい発見がいっぱい、もたらされますように。

 

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イントロダクションの後に、最初の課題(幾つかの質問事項が並んでる)に回答してもらい、それからやり取りが始まる。面白い回答が集まるから、本当はここからがオモシロイ。

それにしてもとりあえず一ヶ月とは言え、33人と文通か。生まれてはじめての経験かも。

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草刈りをしていると、カヤの中からカヤネズミたちの作ったカヤ玉が幾つも出てくる。

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今年は畑の周りを整備したので、いつもより元気よく咲いている。