タローさんちの、えんがわ

「音楽をする」って、 「音楽的に生きる」ってこと

アルツァフ(ナゴルノ・カラバフ)で起こっていること


2018年アルメニア カラフンジ、ゲガルト、サナイン

 2年前の2018年夏、僕は初めてアルメニアを訪れた。エレヴァンの空港から、宿のスタッフが運転する車に乗せられて向かった先は、旧ソ連時代に建てられた古い建物で、僕たちは真っ暗闇の裏通りで荷物を降ろし、壊れかけのようなエレベーターに揺られて階上の部屋に着いた。
「安心してね、エレヴァンは世界で一番平和で安心な街だから」と、案内してくれた彼はWi-Fiをつなぎながら微笑んだ。
僕は数日後、そのことに納得し、そして実感した。
僕はこれまで、世界各地のいろんな社会・文化に興味を持ってきたが、「まともな人々がたくさん住んでいる国・地域は、必ずと言っていいほど、小さい」印象がある。大きな国になるのには、わけがあるし、大きな国にならないのにも、わけがある。奪われてきたものも大きいかも知れないが、小さいままで在り続けているからこそ、守られてきたものがある。それは人間性と言ってもいい気がする。
だから僕は、小さな国の文化や歴史に、心惹かれることが多いのかも知れない。
日本人は長らく戦争や紛争を経験していないから、対岸の火事のようにして眺めたり、双方がただ勝手な領土の取り合いをしてるだけのように思い込んだり、喧嘩両成敗的に上から目線で(どっちも悪いというような言い方で)断じて、背景や状況を深く知ろうとしない人も多い。
これまでの背景や、現在の状況を、より多くの人が知るだけで、これ以上の犠牲者が出ることを食い止めることが出来るかも知れないのに。
アルメニアの名前を口にしても、それってどこにあるの?という反応が多い日本では、ニュース自体が少なく、そして内容にも偏りがある。戦場となっているアルツァフは、ナゴルノ・カラバフと呼ばれているが、それはロシア語だ。それだけでも、この地域で何が起こってきたのか想像がつくだろう。アルメニア人の70%がアルメニア国内にいない。それだけでも、どのような歴史を歩んできたのか想像がつくと思う。
アルメニアでの思い出を挙げたら、きりがない。高校を卒業した頃に目にしたコミタスという映画は、アルメニアという国と20世紀初頭のジェノサイドについて知る、最初のきっかけとなった。もちろん、この国を代表する管楽器ドゥドゥクの音楽も知ってはいたが、2017年の冬に久しぶりにアルメニアの音楽を耳にした時、僕はこれまで感じたことのない引力のようなものを感じた。
2018年の初めに父が亡くなり、その直後にアルメニアの詩人
Armenuhi Sisyan
さんと知り合い、同時にアルメニアの音楽家
Levon Tevanyan
とやり取りをし始めた僕は、次第にアルメニアへの強い縁を感じるようになり、関心を抑えきれなくなっていたが…やはりとどめはその年の4月に起こった革命だった。
日本ではあまり報道されなかったこの革命、いろんな意味で特筆すべき変革だったように思う。それから毎日のように、コーカサスの山々の風景をネットで眺め、アルメニア民謡の数々を聴きながら、何が何でも、今のタイミングでこの地の空気を嗅ぎたい、と僕は思うようになっていた。
「今、アルメニアは希望に満ちている。新しい時代を迎えているんだ」「あなたがもし、ずっと前にこの国を訪れていたら、今この国に溢れている笑顔の数々を、見ることはなかったかも知れない」…アルメニアで若い人から聞かされた言葉に、なんとも心が揺さぶられた。
通りでは、度々すれ違う人と普通にあいさつを交わすようになっていた。お店に座ると「もしかして日本から来たの?中国の人とも韓国の人とも違う雰囲気だから、もしかして日本の人かと思って」と話しかけられた時には、少し驚いた。
ずっと参加したかった、Karinという民族舞踊の団体のワークショップに参加した時には、広場に溢れる若者たちが手をつないで輪になって踊る姿に、心ふるえた。
その時に、手をつないだかもしれない人たちが、この映像の中にいる人たちが、いま戦渦に巻き込まれている。トルコの支援、挑発的な声明の数々、イスラエルのドローン兵器、イランやクルディスタンからの傭兵…不穏な情報の数々に、市民の志願兵が続々と戦地に向かっている。本当に隣国の人々と戦いたい人など、いないだろう。
僕はこの2年、毎日アルメニアのブルールという笛を練習している。少しづつだけど…欠かさない。今はそれが、自分なりの祈りになっている。
エレヴァンの郊外にある、ジェノサイド・ミュージアムには大きな献花・献灯のためのモニュメントがある。そこを訪れた際、僕はそのモニュメントの片隅に座って、とても長い時間を過ごした。何と言うのか…現代の建造物なのに、古い神社と同じエネルギーのようなものを感じた。これには、本当に驚かされた。
この短い時間の中で、どれほどの祈りが、ここで積み重ねられたのか。古い神社が持ち得ているエネルギーと、同様のエネルギーを、どうやって、人々がこの場所に与えたのか。
今何が起こっているのか、多くの人に知って欲しいし、考える人が増えて欲しい。かけがえのないものが、世界のそこかしこに、ある。僕たちが生きている世界は、そういうところだ。


2018年アルメニア 踊る人々①



2018年アルメニア 踊る人々②