アルツァフ(ナゴルノ・カラバフ)で起こっていること
「安心してね、エレヴァンは世界で一番平和で安心な街だから」と、案内してくれた彼はWi-Fiをつなぎながら微笑んだ。
僕は数日後、そのことに納得し、そして実感した。
僕はこれまで、世界各地のいろんな社会・文化に興味を持ってきたが、「まともな人々がたくさん住んでいる国・地域は、必ずと言っていいほど、小さい」印象がある。大きな国になるのには、わけがあるし、大きな国にならないのにも、わけがある。奪われてきたものも大きいかも知れないが、小さいままで在り続けているからこそ、守られてきたものがある。それは人間性と言ってもいい気がする。
だから僕は、小さな国の文化や歴史に、心惹かれることが多いのかも知れない。
日本人は長らく戦争や紛争を経験していないから、対岸の火事のようにして眺めたり、双方がただ勝手な領土の取り合いをしてるだけのように思い込んだり、喧嘩両成敗的に上から目線で(どっちも悪いというような言い方で)断じて、背景や状況を深く知ろうとしない人も多い。
これまでの背景や、現在の状況を、より多くの人が知るだけで、これ以上の犠牲者が出ることを食い止めることが出来るかも知れないのに。
通りでは、度々すれ違う人と普通にあいさつを交わすようになっていた。お店に座ると「もしかして日本から来たの?中国の人とも韓国の人とも違う雰囲気だから、もしかして日本の人かと思って」と話しかけられた時には、少し驚いた。
ずっと参加したかった、Karinという民族舞踊の団体のワークショップに参加した時には、広場に溢れる若者たちが手をつないで輪になって踊る姿に、心ふるえた。
僕はこの2年、毎日アルメニアのブルールという笛を練習している。少しづつだけど…欠かさない。今はそれが、自分なりの祈りになっている。
エレヴァンの郊外にある、ジェノサイド・ミュージアムには大きな献花・献灯のためのモニュメントがある。そこを訪れた際、僕はそのモニュメントの片隅に座って、とても長い時間を過ごした。何と言うのか…現代の建造物なのに、古い神社と同じエネルギーのようなものを感じた。これには、本当に驚かされた。
この短い時間の中で、どれほどの祈りが、ここで積み重ねられたのか。古い神社が持ち得ているエネルギーと、同様のエネルギーを、どうやって、人々がこの場所に与えたのか。