FBもブログも投稿する間もなく、あっという間に過ぎた怒涛の如くの2021年秋~冬…いや、単に元々の、発信や報告を二の次にし過ぎる癖が出てしまったのかも。
とは言え、年末の二ヶ月は本当に日々を文言化するような気分にはなっていなかった。11月には「ひらいた祭(イベント・フェス)」であるツクル森、そして12月には「とじた祭(祭事・儀礼)」である冬至祭…このエネルギー的にも秀逸な流れである年末に大行事&幾つかの重要な行事は、どれも一つ一つかみしめて心に留め置きたく、こうして誰に向かうとでもないような発信に落とし込みたくなかっただけなのかも知れない。
◆11月6日&7日「ツクル森」…ひらいた、まつり
今年は、この催しがイベントやフェスという範疇ではなく、ある意味新しい「ムーブメント」になりつつあることが明確に見えた年となった。職業柄これまで多くのイベントやフェスに出演してきたし助力もして来たけれど、ツクル森はそのどれとも異なった方向性を持っている。「そこをキャッチしている人々」が次々とつながり、そこをキャッチしている人々が模索し続けることで生まれつつある風景。それらに関して書きたいことや写真・動画はいっぱいあるんだけど…そういうのがあまりにもあると「何も書けねぇ~!」ってなっちゃうことが今回よくよく分かった(^-^;
◆12月22日「冬至祭」…とじた、まつり
毎年ここにもアップしている、地域住民しか参加できないこの「祭・儀礼」は文字通りの「祭」で、ある意味最も古くて最も新しい催事。それは「近代・現代」をスキップするような時間軸を内包している…という意味なんだけど、だからこそこれまで様々な音楽文化を追いかけて来た僕にとって、冬至と夏至は地域の外に出たくない・他の仕事や用事をいっさい入れたくない節目の日になっている。そんな絶対的優先順位のようなものを明確にする事で生まれた視座のようなものが僕の中にはある。今年も一軒一軒巡りながらいろんな人の人生や暮らしに触れ、何だかしみじみと感じ入る時間を過ごさせてもらった。
◆11月12日「鳥獣慰霊祭」、12月24日「ひかり保育園クリスマス・コンサート」
これら二つも、何よりも優先して引き受けたい催し。関西野生生物研究所が主催する「鳥獣慰霊祭」は、多くの動物たちが生息する地域に住む僕にとってもはや最重要な日になっている。心きよめてのぞみたい修行のような場。そして我が家の斜め向かいにある保育園での演奏は、地域の子供たちからいつも澄んだエネルギーを浴びている僕にとって、これまた最重要の催事。子供たちのスパークするエネルギーと、予測不可能なナゾ踊り(腹ばいで、半ば白目状態で高速回転し続ける、謎の踊り?)に吹いてしまい、演奏続行不可能に追い込まれたけれど…まさに心の安定が問われる修行の場。つまりこの二ヶ月は最重要・最優先の催しが続いていることになる。
◆その他、様々なコンサートやステージ
実は仕事という意味では、日頃どちらかというと一般公開ではない場の方が今の僕には多い。つまり依頼を受けて演奏しに行く会員制の催事や式典・パーティーなどで、僕たちの音楽を「知らない人たち」、つまり初めて聴く人やそれ目当てじゃない人たち、もちろん音楽に全く興味がない人たちもいる中での演奏。大抵の場合BGMではなくコンサートなので、そういう人たちを相手に一時間ほど存分に楽しませる内容にしないといけないんだけど…ご存知の通り一般的には全く知られていない曲ばかりを選ぶ(笑)
こういう仕事は主催者や企画者からの信頼で声がかかるものだし、主催側から来場者への「プレゼント」でもあるから、やりたいものをやる…というような単純な感覚では出来ない。もちろん、勢いや押し出しだけではどうしようもない。責任があるし、年齢層も様々な人たちが、知らない音楽・初めての楽曲を楽しく興味津々に聴けるだけの工夫や技量が必要になる。正直一般的にメジャーな(イメージが付いてる)ジャンルの音楽なら、イメージで聴いてもらえはする。客席にいるのがファンなら、聴いているのは「それを求めて来てる人たち」だから、ある意味いつも通りでいい。でも、そうじゃない人たちが対象だと…好みを知らない人たち相手にその場で料理を作って出すようなものだ。
僕は元々、一般社会ではあまり知られてないような音楽文化に心惹かれてしまう人間だし、長年オリジナル作品を作って来た人間でもあるから、こういう場で自分のやってきたことの8割以上を封印して(笑)、信頼に応え役目を果たすのは…良い意味で人間を知ることや社会を知ること、そして修行になっている気がする。これもまた、ライフワークでもあるんだろうなぁ。**********************
気が付いたんだけど、僕は日頃ライフワークと呼べることしか、してない💦