タローさんちの、えんがわ

「音楽をする」って、 「音楽的に生きる」ってこと

父の命日

脊髄小脳変性症という、指定難病18に分類される病?がある。僕がそうで、父と祖母もそうだった。つまり脊髄小脳変性症の中でも遺伝型のタイプ。一度発症し進行し始めると、その進行を緩めるしか方法はない(現段階では治療ができない)ので、父は長い闘病生活の中で様々なリハビリに取り組んでいた。特効薬のようなものの登場を心待ちにしている人々も多いが…父はこの症例に関して薬に頼ることはナンセンスと考え続けていた。今日はそんな父の命日だ。

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アルメニアのBlul。この笛の修行も今年で4年目に入った。

ところでそんな厄介な病の発症を遅らせ進行を緩める極めて有効な方法の一つに、何と「新しい楽器にチャレンジし続ける」というのがあるそうだ。新しい楽器にチャレンジすることは、脳に極めて多彩な刺激を与え活動領域を拡げる。道理で…昔から、常に新しい楽器や音楽をやってみたくなる訳だ(笑)
南米音楽を舞台でやり始めた頃、歴史的な探求から植民地時代の音楽や中世ルネサンス期の音楽などもやってみたくなった。後にそこからつながってケルト文化圏、特にアイルランド音楽や西洋各地の辺境音楽をやってみたくなった。同時に10代の頃から聞き馴染んでいたアジア諸地域の音楽や、東欧やバルカン諸地域の音楽にも手を出してきた。無節操と見られても仕方ないレベルだ。
その時々で、いろんな人たちから「仕事的にはそういうの絶対やめておいたほうがいい」と注意された(笑)。理由は簡単で…日本人は仲間意識が強く、違う音楽に手を出した瞬間「裏切った・浮気症・自分たちほどにはこの音楽を大事に思ってなかったんだ」とレッテルを張られ、マニアやオタクな客が特に離れていくという。そして「広く浅く」という言葉がある通り、一つのことをやってる人の方が優れていると思い込んでる人がこの国には多いため、色々やってるだけで軽く見られたり客が付きにくくなったりするという。そして色々やってる人は基本的に一言で説明しにくいので一般的には分かりにくい…肩書的に分かりにくい人は扱いにくいので、仕事をゲットしにくくなるという。そしてもしも万が一、広く深くやったりしてそれぞれが優れたレベルに達しでもしたら、それはそれで疎まれたり付き合いにくい人として枠外に置かれたりするような憂き目にあうという。
なるほど、すごいな。本当に心配してこのような助言をしてくれたんだろうと思う。でもそうだとすれば、むしろ心惹かれるままに色んなことやり「わかりにくい人」でいた方が、この人生で本当に出会うべき人々に出会い、本当は必要性が薄い付き合いや、面倒くさい付き合い、そして思い込みや誤解とのたたかいに時間を奪われることもなく、向き合うべきものに向き合える人生になるのかも知れない。食い扶持的なデメリットを除けば(笑)それこそが、この上ない人生と言えるんじゃないかな。
でも時間が経ってみて、僕がいろんな音楽や楽器をやってきたのにはもう一つの理由があったことを知った。導かれている…というようなことが確かにある。「好奇心」や「興味」だけでは説明がつかない「何か」に引っ張られているような感覚は常にあったけれど…父が逝った年の秋はじめてアルメニアを訪れ、このBlulという笛を見てその場で「やってみよう」と思い立ったことは、今思い返しても不思議だった。以前ここにも書いたけど、今まで斜め型の笛は「やり始めてもおかしくない状況でも、やろうとして来なかった」んだから。
Blulを演奏する僕を、父は知らない。しかし、発音から運指から初めて尽くしのこの笛へのチャレンジは僕が予想していた以上に脳や身体への負荷が大きく(笑)、これはもしかしたら父に仕組まれたのかも知れない…と思うようにもなった。仕事柄、僕がそういった遺伝を引き継いでいること、そしてそれが発症してしまうことを父はずっと心配していたが、ここにきて最強の処方をブチかまされてるのかも知れない。
修業は、あそびでもあり、供養でもあり、祈りでもあるのかもなぁ。