タローさんちの、えんがわ

「音楽をする」って、 「音楽的に生きる」ってこと

ツクル森2022(11/5,6)

投稿から遠のいたまま、随分時が経ってしまった… ので、少しだけ振り返ってご報告。去る11月5日6日に地元のイベント「ツクル森」が無事終了した。このハッピーなイベントを始めて5年になるけれど、今年は今までで最高だった、というような声を本当に沢山の方からいただいた。確かにそうだったのかも…僕たち運営スタッフは1年間かけてジワジワと準備していくんだけど、振り返ってみればその間ずっと場や空気が「それ自体によって」整えられていくのを見ているような、そんな不思議な感覚が今年はあった。ツクル森は音楽だけのイベントじゃない。けれど今年のステージは、これまでの中で特に大きな余韻が残るものになった。ガムラン楽団・ギータクンチャナさんの演目は、大きな聖獣バロンや二羽の極楽鳥ダンスが加わる超豪華版で、夕暮れの森を背景にガムランの生音(!)サウンドが響き渡り、幻想的な生き物たちが舞い踊る光景には会場中が興奮に包まれた。自然の中で行われる芸能はどこか人間離れしていて神秘的でもある。こればかりはホールなどでは体験できないものかも知れない。 そしてこのような野外イベントとしては珍しく、今年のステージは商業音楽的な要素がほとんどない伝統的な「歌だけの演目」が並んでいた。阿寒湖アイヌコタンから駆けつけてくれた旧知のお二人Kapiw&apappoによるアイヌのウポポ(歌)やトンコリ(縦型の琴)・ムックリ(口琴)、Kawoleさんによるカント・コン・カーハ(小さな太鼓だけを鳴らしてうたう南米先住民たちの歌)、里さんによるハラナ(小さな弦楽器)をかき鳴らしながら時折サパテオ(足踏み)を挟んでうたわれるメキシコ村落の祭歌…ここまでプリミティブでネイティブな伝統音楽系で埋め尽くされた野外イベントもなかなかないと思う。しかもそれらの歌い手が声を重ねる「共鳴する声」という企画では、アイヌの歌・南米先住民の歌・メキシコの祈り歌を歌い手全員で歌った後、今度はそれぞれの歌を同時に歌い重ねていくという試み。地球上のあちらこちらで、同じ時の中で発せられているヒトの声や歌、それらがどんな共鳴や振動を生命世界に現出させているのか…地球を一つの森に、そしてヒトの歌声を森のあちらこちらから響く生命の音に見立てたこのアイディアは、まるで「宇宙から地球を眺める」ような感覚で…アイヌの歌に南米の歌、そして日本のわらべうたが重なっていくステージはちょっと神がかってもいた。日頃こういった音楽文化には恐らくあまり触れることがないであろう多くの人々が、今回のようなラインナップにどんな反応をするのか予想はできなかったけれど(思惑や予想なしに為される芸能が実は最も重要なんじゃないかと個人的には思っているけど)…来てよかった・生まれて初めての体験だった・涙が止まらなかった、というような声が沢山寄せられて、それには少し驚かされた。今年のツクル森のタイトルでもあった「みなもとへかえろう」というような意識が、今世の中で広く芽生えつつあるからなのかも知れない。また、音楽イベントってミュージシャンたちがそれぞれの出演時間に合わせて会場にやって来て、それぞれの「いつものヤツ」を披露して謝礼と拍手もらって帰る…というだけのものになりやすいところがあるんだけど、今回のツクル森ではミュージシャンが二日間とも滞在し(ツクル森という催しに深くコネクトし)、ワークショップも行ない(文化を紹介し、経験や知識・技術を多くの人にシェアして)、互いにコラボレーションもしている(お互いにつながって、このツクル森でしか生まれない音楽をツクッてもらっている)。そして歌い手さんたちの間では、これをきっかけにお互いの土地を訪ねたり一緒にレコーディングしたりする計画も立てられていている。こういうことが実現したのは、今回の出演者の皆さんが音楽だけじゃなくて、日々さまざまな仕事…畑やものつくりといった営みを続けている、いわば地に足のついた人たちだったからじゃないかと思う。またそれぞれが伝統的な音楽文化に対するリスペクトが深く、長年時間をかけて取り組んできた人ばかりで、ある意味「自己表現」というようなところに留まっていない人たちでもあったからなんじゃないかな、と思っている。そしてダンスのワークショップ(アフリカン・ダンスと東欧フォーク・ダンス)は、例年よりも更に充実した内容になっていた。多くの人々の歓声や笑顔、躍動する体が原っぱにひろがると、イベントにこれ以上ない一体感が生まれる。僕は「音楽とダンスを一緒に紹介する活動」を「土から引っこ抜いてきた花をもう一度土に戻してやる」ような活動と表現しているけど、「音楽」という漢字が「オンガク」と読まれるようになるまで、「うたまい」と読み仮名がふられていたことを知る日本人は今どれくらいいるだろう。踊りと一緒にと一口に言っても、「客席」の人々が賑やかな音楽に合わせてただ思い思いに体を動かしたり、何となくのイメージでグルグル回ったりする…という、その場限りの反応のようなものだけじゃなくて(それはそれで楽しみの第一段階だとは思うけれど)、「それぞれの文化の中で、音楽と元々一緒にあった踊り」をちゃんと紹介し体験してもらうことの重要性を近年は特に感じている。近代以降の社会って(良い悪いではなく)、様々なものを疑問なく切り離してきてしまった。自由という言葉を拡大解釈して、様々なものを都合よく扱ったり、別のものに置き換えたりしてきたとも言える。音楽に関わる人間がそういう風潮を踏襲せず、切り離されてきたものを再びつないでいくことは重要だと思うし、そうすることで初めて今の社会が取り戻していけるものもあると実感している。そういう姿勢を持つことって、文化とか、織り込まれた「時」とか、それらを紡いできた人たちや土地や風土に対しての敬意だとも思うし。実は僕は京北に移ってきてから、自分の作品や、長年やって来た得意?な音楽は、あまり人前で演奏してきてない(笑)。年齢だろうか?その代わりツクル森では、上記のフォークダンス楽団での演奏や、開会冒頭のフヤラ演奏(スロバキアの羊飼いが奏でる巨大な笛)、子供たちと一緒に歌う「みんなで歌おう、家守の木」は続けて来た。フォークダンスWSでの音楽演奏は、このポツポツ家が点在する田舎で「歩いて集まれる距離に住むご近所さん」だけで作った地元民の楽団で行なっている。これは長年、世界各地の民族音楽(と呼ばれる地域的音楽文化)に関わってきた僕としては、まさに究極の形だと思う(笑)フヤラ合奏はツクル森代表理事メンバーのうち3名でやっていて、多くの人が集まる場で最初に鳴らされる生音というのは土地に対する挨拶でもあるし、扉を開くノックみたいなもんだから、ある意味儀礼でありお祈りであり供物だと思っている。また「家守の木」は代表理事のフェイランさんが作った絵本のテーマ・ソングとして僕が作った歌だけれど、この歌を気に入って小さい頃からずっと歌ってくれている子供たちがいることは嬉しい。成長する中で失わないでいて欲しいものについての歌でもあるから。考えて見たら、これもまたセレモニーのような気持ちで続けているような気がする。そして今年のアート・スペースでは新たな試みとして、地元の美術教師・白井隆さんによるワークショップが行われた。子供や大人たちが呼応しあって、笹や茅の造形、色とりどりの点描を増殖させてゆくワークショップで、二日間通じて「誰のものでもなく、同時に参加者全員のものでもある」風景が原っぱに生まれ出た。このようなアートスペースの在り方も、ツクル森が始まって以来ずっと理想のイメージとしてはあったものの、なかなか実現できなかったことだった。それが今回、原初の「あそび」のような感覚で、多くの人々の手により自然に実現してしまったことには純粋な驚きや感動があった。そんな驚きや感動ともリンクするが…今回ツクル森での二つのトークショー(対談)のうち、初日の「ヒトは、なぜ表現するのか」でナビゲーションを務めさせてもらった。当初は僕がする予定ではなかったので、ピンチヒッターだったんだけど…ほぼその場の思いつきで進めたにも関わらず、珠玉のメンバー?のおかげでトークショーはとても興味深い内容になった。限られた時間だったし、あまり突っ込み過ぎないよう、話を膨らませ過ぎないよう、半ば自重しつつのナビゲートだったけれど(笑)、やはりアートとかアーティストというような言葉を使わずに「表現」を語ることは、案外重要なことだと改めて思った。目の前のヒトから…そして環境から世界から「表れているもの」。また、いまだ「表されていないもの」。それらにどのような「まなざしを向ける」のか。まなざしにこそ、人間の創造性が隠されているし、そこにはそれぞれの生き方が自然に表れる。登壇者たちが語る経験や時々の想いを耳にして、今まで持ち得なかった問いを抱いた人や、見えにくかった答を見出せたという人も多かったんじゃないだろうか(興味のある人は記録配信をどうぞ)。飲食ブースやクラフト・ブースの充実も、また素晴らしかった。悔やまれるのは、当日は運営側として走り回っていて、興味津々のお店の数々を味わい尽くせなかったことだけど、これだけ美味しくて安心できる店がズラッと並ぶこともなかなかない。クラフト出店もそれぞれが素敵で、あちこち回って沢山ゲットしている人たちがちょっと羨ましかった(笑)。でも何より、会場を行き来している人々の笑顔が本当に素敵で、1日のうちに同じ人たちを何度も目にするのが嬉しかった。つまり多くの人が長い時間滞在し、場と空気を満喫してくれるイベントになっていたということだ。運営側としては毎年反省点もあるし、当然ながら今後への課題も残ったけれど、そんな中で臨機応変に、その場で手を貸してくれた人々も沢山いて、とにかく友人・知人たちに助けられた。昨年に続きボランティアで参加してくれた人々のはたらきには感謝が尽きない。そういう人々が、実はこういう清々しい空気を創造してくれているんだな~としみじみ思う。それぞれの日々の探求や、お互いの日々の関わりが、合わさって奇跡を生み出していく…と実感させられた二日間でもあった。
みなさん、本当に有り難うございました。