タローさんちの、えんがわ

「音楽をする」って、 「音楽的に生きる」ってこと

世代をこえてアルメニアのダンスを拡げた、Gagik氏の逝去

アルメニアのダンス(ステージ用ではなく民間伝承的なダンス)を復興・普及した先駆者であり、最も有名な舞踊団の一つでもあるKarinのリーダーGagik Ginosyanが逝去。今年の秋にアルメニアを訪れる計画があったので、その際には再会できると思っていた。それだけに突然の知らせでショックは大きい。

帰国前にひょんなことで訪れた催しでGagik氏と再会
2018年にアルメニアを初めて訪れた際、大きな目的の一つがカスケード広場で行なわれるKarinのダンスWSに参加することだった。アルメニアを代表する現代詩人の一人Armenuhi Sysyanと、僕の笛に関して入手から全てをサポートしてくれたアルメニアを代表する民族音楽楽団 Shoghaken Folk Ensemble (Շողակն)の笛演奏家Levon Tevanyanも、もちろんGagik氏とは親しく、WSに参加した際には彼らがGagik氏を紹介してくれた。
帰国予定日に台風が関西空港を直撃し、その影響で飛行機が飛ばなくなって滞在期間が数日延びたおかげで?エレバンで開催された音楽イベントに赴き、そこで再び彼に会った。その場にいる全ての人が、本当に心から彼を尊敬していることが伝わってきた。アルメニアのダンスや音楽に関わる人間にとっては、宝物みたいな人だったに違いない。
 
※葬儀の様子がアップされていた… https://fb.watch/q8hHhZTF9Z/
年末年始の余裕のなさから(前投稿参照)、しばらくここでも投稿が出来ていなかったが…奇しくもアルメニアのクリスマスである1月6日(アルメニアは初期キリスト教国なので、クリスマスが冬至近くの日に「変更」される前の風習が残っている)に、僕たちは生演奏による「日本アルメニアンダンス研究会」を京都で発足させた。この研究会でとりあげる多くのダンスも、Gagik氏がKarinでの活動を通じて広く紹介・普及してきたもの。Gagik氏の魂の平安と、彼を失ったアルメニアの人々の未来のために祈らずにはいられない。
それにしても、どうしてこの歳になって、こんなにアルメニアの音楽に惹かれるようになったのか。音楽や笛はもちろんなんだけど…実は、アルメニアの人々が老若男女で踊っている映像を見たことが、きっかけだったような気がする。
 
そこに何か言葉にできないような「引っ張られる力」を感じて、とにかくその人々の輪に入ってみたい、と思うようになった。すると今度は、コーカサスの山々の風景がそれまでとは全く違う見え方をするようになってきて…不思議なんだけど、山々自体が自分を呼んでいるような、そんな気持ちがするようになったのだ。それは結構強烈な力で、とにかく直接その空気の中に行かないといられないような不思議なエネルギーだった。
アルメニアを訪れ、今僕が修行している笛Blulの音色を目の前でLevonから聴かせてもらった時、その音色がその「引っ張っている力」と自分をつなぎ続けるものであることを直感した。それまでは、自分がその笛をやるつもりは全くなかったのに。
 
※こうして葬儀の様子を見ていると、心が打たれる
振り返ると、やはり人々であり、土地であった。それは恐らく今という瞬間の人々や土地だけではない。もっと時間を超えた、人々や土地を巡ってるエネルギーのようなもの。人々や踊りを通して、音楽を感じたんだな。
 
KarinのWSに参加した日の後、友人のArmenuhiが言った。「個々人が自己表現として魅せるダンスも、もちろん芸術として素晴らしいと思う。でも、アルメニアの踊りは、皆んなでつながるための踊りなの。エゴが消えてしまう踊り。それが私たちの文化。今の時代、それは注目されにくいものなのかも知れないけれど…私はそのことに誇りを持っている。」