タローさんちの、えんがわ

「音楽をする」って、 「音楽的に生きる」ってこと

ここ数ヶ月の振り返り②

秋からの活動?報告の第二弾は、なんといってもアルメニアの笛修業の日々。アルメニアのことを知っている日本人はとても少ない。アルメニア音楽についても、せいぜいドゥドゥクの存在やその音色を知ってるくらいだろう。なので「アルメニアの笛BLULと音楽に取り組んでいる」と話すと、たいていは怪訝な顔をされる。

右手に持っているのがShvi、左手に持っているのが目下修業中の斜め型笛Blul
本業?という言葉も僕の場合随分前から使いにくくなってるけど(笑)、南米のケーナアイルランドの笛ももちろん基本的にはこれまで通り演奏できるものの、ここ数年は特に必要とされる舞台でしか触っていない。ともあれもう15年以上、それまで本業?としていた楽器を脇に置いて、練習中の楽器ばかりを手に人前に立ってきたので、自分名義のバンドで作曲作品を中心に手広く演奏活動をしていた頃の僕の舞台やCDを知っている人も、随分減って来たように思う。これは僕にとってとても良いことだ。自分を知らない間に絡めとっているものは、案外自分の足元にあるものだから。

京都で開かれた第一回アルメニアン・ダンス研究会では6つのダンスがとりあげられた
アルメニアの音楽の魅力は、とても一言で語れない。僕がアルメニアの笛に感じている可能性も、人にはなかなか説明しにくい。もちろん、その必要性もないかも知れない。機会があれば(未だ修業中の身なれど)、演奏会や踊りの会に是非来て欲しい。
昨年は秋以降で言うと京都修学院や大阪天六と京都今出川などでそれぞれコンサートを開き、今年のはじめの1月6日(奇しくもアルメニアのクリスマスの日)には、京都で第一回目のアルメニアン・ダンス研究会をスタートさせた。5月の島之内と10月の天六でのコンサートは、生前の母が見た僕の最後のコンサートとなった。このところ僕が何に憑りつかれているのかを一応見届けてもらったことになるが、コイツは一体どこへ向かってるんだろう??と思っただろうなぁ^^;

大阪は5月の島之内教会に続き10月には天六の小スペースでアルメニア音楽のコンサートを
ところで、あまり知らない人からすると僕は笛と呼ぶものを片っ端から手にして演奏したり集めたりしているような印象を持たれることがある。確かに子供の頃からかなり幅広い音楽を聴いてきたし、特定のジャンルで演奏活動をやってる人から見れば、比較的色んな笛を演奏しているように見えるかも知れない。でも僕は笛を集めることには元々全く興味がないし、普段から好んで聴いている音楽でも「よっぽどのこと」がない限り自分でやろうとは思わない。だから、僕が手にして演奏している笛や楽器は「よっぽどのこと」を感じたものばかりということになる。
「よっぽどのこと」を感じたら、人間は「それが何になるのか?」なんて考えないものだと思う。普段の仕事だとか日々の生活だとか、立場だとか経歴だとか…そういうのはまぁ、どうでもいいことになってしまって、つまり無計画でビジョンなど描かないまま歩み出してしまうものじゃないかなぁ、と改めて思う。40過ぎた頃からは特に「何かのため」に始めるようなこと・やることには、とことん関心を持たなくなってしまった(昔からそうだったけど)。
という訳で相変わらず、己の業に向き合うような日々が続いているんだけど、未だ自分はBlulという笛を「思うように」演奏できていない。未だ「(他の笛のように)いつも同じような音が鳴ってくれる状態」には、至っていない。というか、その日その瞬間で、息と身体と管と空間が合わさったところで、向こう側から「やって来るようなもの」に長く憑りつかれているので、そうだからこそ、やり続けているのかも知れない(すぐにそれなりの音が鳴る笛では「こうしたい・こうしよう」が先に立ちやすく、僕個人としては「最初に何かがズレる」ように感じるようになってしまった)。舞台を見ているお客さんからすると、フツーに演奏できているように思えるかも知れないが、僕の方は究極的に、自分が「来た!」と感じれる何か?音?に、出会えているか出会えていないか…みたいなことにしか意識が向いていないような気もする。笛を手にしているとそうなってしまう…と言った方がいいんだけど。「タローさんのステージは、エンターテイメント性が高いから」と、かつて(20代30代の頃)は言われてきたが…今僕はほとんどそういうことに意識を向けなくなってしまった。これまでの経験がどこかにあるから、舞台もそれなりに楽しいものにはしてしまうんだけど、それは自然にそうなってしまうだけで…自分の最大の関心は、常に他のところに「引きつけられたまま」になっている。

京都は9月の修学院に続き、11月には今出川の小スペースでも開催
そんな訳で、アルメニアをはじめとする黒海沿岸の広い範囲の地域の文化や歴史、自然や人々にこのところ僕は強烈に引っ張られ続けているんだけど、その理由は僕自身まだ見えてはいない。実はあまりそういうのを見たいとも思ってないのだろう。修業ってそれ自体がどこか完結しているし…「いそしむ」という言葉がピッタリくる。

第一回アルメニアン・ダンス研究会参加者の面々

去る3月12日、あいにくの土砂降りの中だったけど、はじめてアルメニア大使館を訪れた。大使のAreg Hovhannisian氏が活動に大変関心を持ってくださり、京都に会いにいくよというメールを頂いたのだが、さすがにそれは申し訳ないので、5日からの東京滞在を延長し、ちょうどニュージーランドでの仕事から戻ったばかりの大使を訪ねた。大使は幼い頃にバイオリンをやっていたので音楽にも造詣が深く、そして義理の息子さんはダンスの指導者でもあるという。アルメニアのダンスの普及と保存に大変な貢献をしてきたGagik氏の突然の逝去にまだショックが残っていたが、義理の息子さんはGagik氏のお弟子さんでもある。拙い英語で、あまり多くのことは話せなかった(気がする)が、大使はとても温かい方で、今後の活動のことや今進行中のプロジェクトについても少しばかりお話しさせて頂いた。書記官のDavit Sahakyan氏もとても良い方で、お二人と話しているとアルメニアでの日々をいろいろ思い出した。

実は、このコーカサス地方についての合同誌「Tomo」に寄稿している。以前、アルメニア音楽をとりあげたコンサートに来てくださった「生きてる」さんにお声がけされ、「人を出会いへと導くもの」というタイトルでアルメニア音楽との出会いを綴っている。とってもマニアックな同人誌!ご興味のある方はぜひ。