振り返ってみれば、今年もよく笑った~



振り返ってみれば、今年もよく笑った~
◆11月6日&7日「ツクル森」…ひらいた、まつり
今年は、この催しがイベントやフェスという範疇ではなく、ある意味新しい「ムーブメント」になりつつあることが明確に見えた年となった。職業柄これまで多くのイベントやフェスに出演してきたし助力もして来たけれど、ツクル森はそのどれとも異なった方向性を持っている。「そこをキャッチしている人々」が次々とつながり、そこをキャッチしている人々が模索し続けることで生まれつつある風景。それらに関して書きたいことや写真・動画はいっぱいあるんだけど…そういうのがあまりにもあると「何も書けねぇ~!」ってなっちゃうことが今回よくよく分かった(^-^;
先週、学生さんたちの回答全てに、ようやく返事を出し終えた。もう仕事的には8月頭に終了してて、成績も出し終えてから一ヶ月が過ぎてるんだけど…タイミングを見繕いながら一通一通返事を書いてたら、えらく時間がかかってしまった(笑)
「レポートに対して個別に返事や感想を書いて来てくれる授業は他になくて、有り難かった」と後から書いてきた学生さんも多かったんだけど、そうなの??考えさせられる…。
授業の補足テキストや学生さんとのやり取りは、本にしたら毎年一冊分にはなる。実際本にできる訳じゃないけど…ホントは多くの人に読んで欲しいくらい。
今年の最終課題はこんな感じ。この設問の一つ一つの意味が読み取れる社会人って、今どれ位いるんだろう。残念だけど、まだ勘違いしたり早合点してしまう人の方が多いんだろうな。かなり大きな時代の変わり目を迎えてはいるけれど、旧時代の思い込みを捨て去ることができる人が増えるには、もう少しかかりそうだと思う。
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①歌を作るつもりで、「ひとり」「ひとつ」「いきる」「いく」「めをさます」という五つの言葉を使い、詩を書いてみてください。
②あなたにとって「かけがえのないもの」とは、どういうものでしょう?もしくは「なくしたくはないもの(失いたくはないもの)」とは何でしょう?幾つでも良いので、思いつくままに書いてみてください。
③あなたがつい「機械的に反応してしまうこと」って、どんなことですか?普段の自分自身を振り返って、書いてみてください。※たとえば、誰かから頭ごなしに否定された時ムカッとするとか…パターン的なことが引き金となって、喜怒哀楽など(特定の感情)が半ば自動的に・反射的に、自分の中で引き起こされるようなこと
④「生まれたばかりのあなた」を、今のあなたが養育するとしたら…あなたは、自分自身をどのように育てたいと考えますか?空想を巡らせて、書いてみてください。
⑤あなたがもし「あなたの両親の、親だったら」…あなたは、自分の母親を父親を、どんな風に育てたいと考えますか?空想を巡らせて、書いてみてください。
⑥あなたが「今、自分がイメージできる最高の状態」にあるなら、あなたはこの社会で、どのような「はたらき」を担うと思いますか?
⑦あなたが現在「そうなれないでいる」、もしくは「今後、そうなれないような気がする」ならば、それは何故でしょう?あなたが「そうなれる」ことを阻んでいるものがあるとしたら、それは何だと思いますか?
⑧「私は常に、自分や自分のおかれた状況に、変化を起こすことが出来る。なぜならば…」という書き出しで、続きの文章を書いてみてください。
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たぶん大方の人が想像する以上に話があちこちに飛ぶ、超無節操な授業だけど(笑)今年もまた、宝石みたいな魂をいっぱい見せられた時間だった。みんな、ありがとう~こんなヘンテコ状態の世の中・カオスのような時代だけど、いろいろ考えたねー、いっぱい笑ったねー、輪になって踊れて楽しかったね…☺
みんな、いい人生をおくれますように☆彡
夏至の日のハーブを摘んで、天地の塔やしあわせの輪、ウツシダマを飾ったり、料理に使うのが毎年の行事。ある程度は整備していたけれど、雨が続いた後はやはりハーブ園がカオスになっている(笑)でも、あまりにも手の入った庭は、それはそれで管理が行き過ぎた社会のようで、寒々しくもある。自然の、人知れぬドラマが見え隠れする庭の方が、せめぎ合いとしてはバランスが良いようにも感じるし、何より分け入った時にワクワク感がある。
ちなみに、世界各地に残る夏至の祭は、古来から男性性と女性性の融合…いわば二つの極の共鳴や融合がテーマの一つだが、エントランスの「天地の塔」も、天と地を結び付けるシンボルとして、祭会場である我が家の入り口に建てられている。横軸に作られた回転する輪は、ちょうど天と地の間にある僕たちの世界を表す格好になっているが、これも搭をはじめて建てた際に、自然とそういうデザインになった。縦軸や横軸、輪や回転といった要素が、万国共通のシンボルとして、この現象世界を表していく過程を、作りながら追体験しているというわけ。
そして「ウツシダマ」は、この夏至祭の要でもある儀式。かつて日本には、罪や穢れ、邪な想いやネガティブな想いなどを祓う方法として、石を使う方法があった。小さな石を手に取り、体温と同じ温度になるまで握りしめ、そこへネガティブな思いを移行させ封じ込めると、それを川に投げ入れ、水の流れによって浄化させていたという。よく、川で拾った石を持って帰るな、と言われたものだが、そこにはそんな理由もあったという訳だ。
夏至祭の「ウツシダマ」は、そんな「浄化」のアイディアを持つ儀式。ワラの紐を丸めて結びながら、そこに上記のような想いや浄化したい記憶などを込めていく。そしてそのワラの玉を、夏至の強い光を受けたハーブや花で飾りながら、エネルギーをカワイく美しいものに「変換する」のが、このウツシダマ。こうしてできたカワイくて美しい作品を、それぞれが火に投じる。自分の創造性でもって変換したエネルギーを、火を通して地球に返すというワケ。
それにしても、持ち寄りパーティーのクオリティの高さが毎年ヤバい。みんなの創造性や日々の心持ちに、いつも感心させられる。地域に住む友人たち、そしてこの日の有り難き「し合わせ」に感謝。
※そろそろ我が家の構造的キャパを、次のレベルにアップすることを考えなければ…💦
しあわせの輪くぐりは、カップルでも家族でも、友人同士でも…相手のいない人は一人でもできる。一年に一度の「結婚式」みたいなもので、夏至祭の「女性エネルギーと男性エネルギーの共鳴と融合」を象徴する儀式。結構楽しい♫
お祭って、「時間の中の定点観測」みたいなところがあって…それぞれの、一年の間の変化や成長が見えたり、これまでの何年もの歩みを眺めたりできて、感慨深くなったりもする。
春、満喫…とはいえ朝は0~3度くらいまで落ちることもあるから、日中との温度差が大きくて、草花やクマンバチ、蝶々たちからも何となく戸惑いのようなものを感じる。世の中は相変わらずヘンテコ状態驀進中だけど、今は外で過ごすのに最高の季節…そしていつも通り、自然は人間どもを待ってはくれない。この地に移って来て最初の年は、リアルに朝から晩まで庭仕事をしていたけれど、寝る前に体重計に乗って4キロ近く減ってた時は、さすがにヤバいと思った。最近は無理しないで(笑)自分に甘く、暮らせるようになった気がする。でも案の定、草刈りも整備もなかなか追いつかない。
さて、前期だけ担当している大阪大学での授業が今年も始まった。昨年受講してくれた学生さんが数人、再履修希望なるものを出して、二度目を受けに来てくれている。僕は授業を受けに来る学生さんたちに愛着を感じているので、素直に嬉しい。授業のタイトルは昨年と同じく、「共生の技法~ヒトはなぜ、うたい踊るのか~」。
よく「どんな授業されてるんですか」と尋ねられるんだけど、一言で説明できない。社会人対象の講演会などをすると、「こういう話を学生の頃に聞いておきたかった」と仰る方が結構多い。でも実際には学生の頃に聞いても、ピンと来ない話も多いはず。でも中にはピンと来る学生さんもいるだろうから、キョトンとされたり聞き流されたりするのを覚悟で(笑)、そういう話も盛り込むようにしている。
現代日本人の多くは、一つ一つの言葉についてあまり知らないまま(知ろうとしないまま)、周りの人が使っているのを受けて「ただ使っている」。その意味や概念がどこかでおかしくなっていても…みんな同じようにして「ただ使っている」ものだから、気付く機会がまずない。これは「音が狂ったままの楽器を、みんな気付かずに鳴らし続けて、メロディを奏でてる気分・合奏している気分になっちゃってる」のに近い。社会の大部分がそうだったら、これはえらいことだ。
でも日本は既に「えらいことになってる」状態が長く続いていて、随分昔から「個々の思考は乱れやすく、感性は機能しにくい状態になっている」。もしくは、別の機能を果たす状態に「追い込まれている」…と言ってもいいかも。
言葉はみんなが日常的に使っている「音」だから、その「調律や調整」は、即効性と実用性がある。なので、そこを入り口にして、日常の中でのものの捉え方や感じ方、考え方や行動を見直していくようなことを、授業ではよくやっている。
教育が「おかしな状態」になっているのは、今に始まったことじゃない。僕が子供の頃から既にそうだったし、僕自身もその頃から気付いていた。仮に現場の教師たちがそれぞれ問題意識を持って取り組んでいたとしても、どうしても限界や制限もあるし、この国の現状がこれでは心ある教師から順に疲れ果ててしまう。就職活動で「頭がいっぱいな状態に、させられている」学生さんたちの言葉の中には、彼女ら彼らが直観的に感じているこの社会の危機が顔を覗かせる。
今年からは、授業最初のアンケートに「これまでに、死んでしまいたいと思ったことや、そんな風にして悩んだことはありますか?もしあるならば、その悩みは何によって引き起こされたのだと考えますか?」という項目が加えられた。これはただ単にそれぞれの経験について尋ねているんじゃなくて、今の時点で改めて「自己観察」して書いてもらうことに主眼を置いている。
この社会に居場所を得るために、「取り引き」をせまられるような世の中…「そこには本物の言葉も人間も、感じられないでいます」と書いてくれた学生さんたち、損得勘定して割り切ることが大人になることだとは、どうしても思えないでいる人たちに、光射す時間というか…多くのきっかけや意味のある授業がしていきたいなぁ…と、タイムの間を飛び交うミツバチの羽音を聞きながら、毎年のように思う。