タローさんちの、えんがわ

「音楽をする」って、 「音楽的に生きる」ってこと

最初のCDの表題曲「ハルノヒ」の物語

小学校の時、坂本九の映画「泣きながら笑う日」を観に行った。一部の地域でしか上映されなかった映画で、しかも彼の遺作となってしまった映画だけど、観たことのある人はどれくらいいるだろう。小学生の僕は、「泣きながら笑うって、どういうこと?」と不思議に思いながら、この映画を観たのを覚えている。そして最後のシーンで、このタイトルの意味を子供ながらに理解した。音楽に限らず僕にとって心惹かれる表現というのは、この映画のタイトルに象徴されるような、分けることのできないエネルギーが混ざり合い絡み合い、融け合って一つになって表されているものだ。
好き嫌いでものごとを分ける癖がつくと、視野は極度に狭まるし、自分自身をより知ることは難しくなってしまうだろう。同じく自分の感情を喜怒哀楽に分ける癖がつくと、逆に自身の感情を見失いやすくなる。今は、人間の機械化・器物化が進みやすい時代だ。二項対立的に物事を振り分け、分けられないものを分ける癖がついてしまうと(分けることができると思い込むと)、その人はあっという間に「反応と反射」しかできなくなる。これは極めて自覚しにくい罠で、自分は思考できている・判断できていると「思い込んでしまう」ばかりか、そのことを指摘されても(機械のようになっているから)「そんなはずはない、と反応するだけ」になってしまう。良い悪い、好き嫌い、正しい間違い…対義語に見えるものは全てこの罠を含んでいる。
近頃は「おこる」ことや「いかり」を抱くことを、過度に避けようとしてしまう人が増えた。もちろん平和的であるのはいいことだが、怒りを「悪い」感情と決めつけ、この感情が生じること自体を恐れて、観念的に避けようとするために、かえって不自然な思考状態に陥ってしまう人は少なくない。間違いを犯したくない、ことを荒立てたくない、自分を制御したい、いい人でいたいといった想いは、裏を返せば自己防衛でもあり、知らないうちに自己矛盾を引き起こしてしまっている。
そう言えば、昭和生まれの人はとかく「怒りやすくて」、コワいイメージの人が多いと、平成生まれの人から思われやすい…と聞いたことがあるけれど、ホントかな(笑)でも確かに子供の頃は、怒っている人をもっと沢山、目にしていたような気もする。まぁでも荒波や突風だって自然の様相そのものなんだから、人がそうであってもそれはそれで自然で、過度に制御しようとする欲求の方が、どこかおかしいのかも知れない。野坂昭如大島渚をブン殴った時は笑ったなぁ~。
「怒る」は元々「起る」と同根の言葉で、そこには本来ネガティブな意味などない。「いかり」も「いかり肩」というような言葉がある通り、角張るとか、尖るとか立つといった意味の言葉だ。氷だって凍って結晶化したら尖る。水晶だって尖ってる。エネルギーの波が起こったり、その波が鋭角に立つようなことは、それ自体「良いも悪いもない」。漢字の持つ印象や概念にあまりにも左右されている気もするが、言葉に対する思い込みは、その社会に生きる人々がどのような思い込みを抱いて、それにどのように囚われているかを如実に表している。
そういえば僕は若い頃、よく「尖っている」とか「いつも怒っている」と言われていた。別に怒っていないのにそんな風に言われたりするので、ある日意を決して友人に「なんでそんな風に見えるのかな」と尋ねてみた。すると、「目がデカいからそう見えるんちゃう?」「一生懸命喋り過ぎてるからじゃない?」「基本的に勢いがあり過ぎるんちゃう?」と言われた。それ以来ちょっと気を付けるようにはなったんだけど、考えてみれば目が小さくなる訳じゃないし、そんな器用に自分の勢いを調整できる訳でもないから、たぶん状況はあまり変わってもいないかも。
ところで、人間には「静かな怒り」というものがある。英語の「怒る」は、かつては「悲しむ」を意味する単語だったらしいが、実際ある種の怒りや、ある域を超えた怒りは、しばしば「かなしみ」を伴う。かなしいとは「~しかねる」、つまり「想いや力の及ばないこと・届かないこと」を表した言葉と言われるが、そのかなしみも限りなく深く大きくなると、「いかり」はある種の「いのり」に姿を変えてゆく。そのような体験がある人も、きっといるんじゃないだろうか。
昔、小学校のバス旅行で歌の順番が回ってきた際に、大声で「山谷ブルース」を歌って同級生たちから白い目で見られた僕は、当然のことながらその後趣味を世界規模に拡げ、中学生くらいになるとラジオを通して日本や各国のフォーク…特にチリのヌエバ・カンシオンを愛聴するようになっていた。中でも反戦歌や反体制的な歌、政治的な内容の歌に傾倒していたから、当然のことながら街やテレビで耳にする「流行り歌」の大半に僕は興味が持てず、それどころか「別にこんなの、作らなくても良かったんじゃないの」とさえ思っていた。
歌わずにはいられなかった・歌ってなかったら死んでたかも…というような「必然性」を感じさせる歌と、そうでない歌(たとえば「自分でもオリジナル作ってみよう~♫」程度で作られた歌や、商品として小器用に作られた歌など)は、同じカテゴリーに入れるのに少々抵抗を感じる。それらが一緒に並んでいるようなCDコーナーを見る度に、この世界の多様性の不思議と、人間の所業のデリカシーの無さというか浅慮に、いちいち気が遠くなっていた。
それにしても(たとえば有名なところで言うと)ピート・シーガーの「花はどこへ行った」にせよ、ボブ・ディランの「風に吹かれて」にせよ、ビクトル・ハラの「平和に生きる権利」にせよ…ハードな時代に多くの人々に共有された反戦歌やプロテストソングは、どうしてこうも曲調が叙情的で、歌語りが静かなのか。実際に悲劇がすぐ傍らにあった時代の歌ほど、旋律が素朴で優しい。言葉も決して直接的ではない。We Shall Overcomeにしても、旋律そのものは抒情的だ。銃弾に倒れたビクトルの歌は、何故こうも柔らかく優しいのか。
ロックやヒップ・ホップ等の、直接的な歌詞や、勇ましくて半ば攻撃的なシャウトやサウンドは、逆に実際の戦争や圧倒的な悲劇からは遠く離れた場で発せられ、そこで共有されているものが多い。この違いを皆さんは、どう感じるだろう。僕は、大音量系の勇ましいビートやシャウトに彩られた音楽、つまり「怒りを発散し、アピールする音楽」に、安全地帯にいる人間の匂いを感じることもある。勇ましいことを言って悦に入るタカ派の政治家は言うまでもない。場合によっては、個人的なフラストレーションの吐露を、社会に対しての怒りで覆い隠しているようなものだって少なくない。ある程度大人数の人々と共有し盛り上がることができれば、とりあえず充たされてしまうような…そんな刹那的なエネルギーの波、小さな怒りしか感じられないことも多々ある。
怒りの度合いを、他人と比べることは出来ない。「普段から群の中にいる人々」は、互いにそれを「分かりやすい記号にして」表し、確かめようとする。「大きくあらわになっている」怒りほど、大きいものだと多くの人は思い込んでしまう。僕は、そんな「記号化された怒り」よりも、それが怒りなのかどうなのか、もはや分からないものになっている表現に心惹かれる。一人で静かな怒りを湛(たた)えている人間から生み出された言葉や旋律に、祈りに似たものを感じる。
さて、前置きがいつも通り長くなったけれど(笑)…最初のアルバムの表題曲「ハルノヒ」は1993年の作品で、これは漢字にすると「春の陽」つまり春の太陽の光のこと。といっても、春に作った曲でもないし、春という季節を絵的に描こうとした訳でもなかった。というよりも、僕の作品のタイトルの大半は、何かのたとえでしかなかったりする。
「花が咲く」というのは、「ハナ(先端)が、サケル(裂ける)」ということで、言うなれば茎の先端が裂け、それまで姿を見せなかった生命の本質が、色となり形となり表れること。冬/ふゆ(殖ゆ)の間に、見えない土の中で静かに「殖(ふ)えていた」エネルギーが暖かい光を受けて振動を上げ、土や植物をふくれあがらせると、充満したそれらの表面がハル(張る・腫れる・晴れる)季節がやってくる。それぞれの先端が割れ、内なるものがあらわになると同時に、プチプチとかパシッとかいう笑い声(割れて出でる声)が、そこら中に響き渡る。笑うと割れるは、元は同じ言葉だ。
われる(割れる)、さける(裂ける)…それは万物を「ほどく」ことでもあって、しめつけていたのがゆるめられ、いっぱいにまで「張っていた」ところに亀裂が走り、閉じられていたものが開き、隠れていたものがあらわになり、新芽が顔を出す季節、それが春だ。つまりあちこちで、「種明かし」が「おこる」。
人間は辛い時ほど、そのさなかにその経験の意味や理由を知りたいと願う。何故こんなことになってしまったのか、何故こんな目に合うのか、何のためにこんな経験をせねばならないのか、この今にどんな意味や理由があるというのか、といった具合に。しかし、それらの種明かしはずっと後だ。
また、人に言えない想いや、表に表せない想いほど、自分の中で静かにふえては拡がる。それらは表に表されているもの以上にその人の真実となっているが、「外に表されない限り」、人から見えていないもの・見ようとされていないものは、自分以外にとっては「無いにも等しいもの」なのかも知れない。もちろん、それらが実際に無い訳ではないが、僕たちは本質的にどれほど親しくても、互いを全て知り得る訳ではない。つまり、自分の真実を本当の意味で知ってもらうことは不可能だ。
この現象世界はそういうところで、ここにある大半のものはそういう状態にある。形にして表されているものごと、知り得ているものごと、それらはほんの一部でしかない。見えないからこそ、人は勝手なストーリーを描く。本質的に知り得ないからこそ、人はそれ以上見ようとしていない。
しかし誰もが、何かに受け入れられたいと願っている。知って欲しい、分かって欲しい、そんな叫びを内に秘めている。その大半が放置されたこの社会で、そんな願いの数々は土の中で拡がり、殖え続けている。
僕たちは、「種明かし」を互いに目にすることはできるだろうか。巻物を固く閉じていた紐がほどかれ、拡げられ、内に膨れ上がったエネルギーがはじけ、それまで見えていなかったもの、形となっていなかったものが、姿を表す時、思い込みや価値観に亀裂が入り、装いが崩れ、仮面がはがされ、嘘がさらされ、隠していたものが勢いよく互いの間に飛び出す時、万物が割れる音や裂ける音が悲鳴に聞こえるだろうか、それとも産声や笑い声に聞こえるだろうか。亀裂の音が響き渡る中で、祈りのような優しい旋律を歌うことはできるだろうか。
この曲も思えば長らく、人前で演奏していない。優しいメロディですね、と言われたことがあるけど、僕の中では、土中の闇で拡がる静かな怒りと、無いもののようにされながら在り続けた広大なかなしみが、この曲の軸になっている。春の光を、優しい光ということも出来るだろう。暖かい光ということも出来る。しかしそれは、割れて、裂ける時を「容赦なく迎えさせる」光でもあり、だからこそその奥底に「肯定と否定という二項対立を消し去るほどの圧倒的肯定」を持った光だ。
僕がこの曲を作った時は、僕が一番尖っていた時期なんじゃないかなと思う。自分の愚かさに対しても、無力さに対しても、世の中の理不尽や、日々のやるせなさに対しても、自分の中にはいつも大きな波が「おこっていて」、その脈動は冷え切って結晶化し、針や棘のように尖っていた。いかりとかなしみの差が、ぼんやりしていた。
僕はたぶん、人に届けるためだとか、聴かせるために曲を書いたりして来ていない。振り返ると、それがよく分かる。自分の中のエネルギーに、自分が向かう先を指し示すために、音楽をしてきたんだろうなぁ。