タローさんちの、えんがわ

「音楽をする」って、 「音楽的に生きる」ってこと

35年前に見たビジョン

今から35年ほど前、僕は突如、あるビジョンに「憑りつかれた」。ビジョンというか…実はそれは「ある瞬間のビジョン」であって、そのシーンに至るまでは長い物語があるのだが…僕はその物語を、映画にしなくては!と思い立ち、毎日学校で(授業の間中)、ノートのあちこちに構想を描くようになった。特に高校2年生の頃、僕の頭の中はその物語の空想・妄想でいっぱいだった。それくらいに、そのビジョンは「衝撃的」だったのだ。

 

物語は、こうだ。

 

ある若い文化人類学者が、フィールドワークに訪れた奥地の少数民族の村で、その地域の人々の会話の中に「意味をなさない規則的な音」があることに気付く。それは一種の「まじない」のようなものとして、会話の中に挟まれていたのだが、その音について調べているうちに、それらが元は「別の文明」由来の言語だったのではないか、と彼は考えるようになった。


その確証を得るべく、古い宗教施設を訪ねた彼は、村の古老からそれらの音・単語についての聞き取り調査を始めることにしたのだが、そこで思いもよらず、古老から「ある不思議な物語」を聞かされることになる。


その物語は、はるか昔の出来事のようであるのに、その人類学者に対して「その時、お前は」「そして、お前は」という風に、常に「二人称で語られる」物語だったのだ。人類学者はとまどいながら、「それは誰の話ですか?」「どこの話ですか?」「なぜ私が登場するのです?」と尋ねるが、古老は一向にこたえようとしない。


ところが次第に物語が進むにつれて、人類学者は「まるでそれが、自分が実際に経験したことであるかのような」錯覚と共に、それがはるか昔の誰かの経験なのか、それともかつて自分が実際に経験したことなのか、更にはこれから自分が経験することなのかさえも、分からなくなってしまう。その物語は、「異なる【層】をつなぎ、意識を連れ出す」呪文でもあったのだ。

 

過去とも未来とも分からない、とある世界…大陸の中央にパータスと呼ばれる高原地域があり、多くの少数民族が各々の国を持ち、互いにせめぎ合いながら暮らしていた。それらの民族の間には、ある共通する神話、「二つ目の太陽」に関する伝説が、異なる宗教を通し、それぞれの形で語り継がれていた。「天空に二つの目の太陽が輝く時、人々はもはや光を受けず、ただ光の内に時を過ごす」。
 
そんなパータスの小さな国に、戦乱で両親を失い、行くあてもなく軍隊に入った一人の少年がいた。彼は隣国の民族紛争の中で、敵対する地域の村に攻め入り、同盟国の上官の命令で、とある少女を捕らえることになる。彼女はアルスーヤンと呼ばれるシャーマンとして生まれた者で、アルスーヤンは祭礼や儀式・治療や呪術といったいわゆる通常のシャーマンの役割ではなく、「ある特定の技術」を受け継いでいく役割だけを担っていた。
 
その技術は一見すると舞踊のようにも見える動き・一種の作法のようなもので、「時が到来した瞬間にのみ、その意味を表す」と言われていた。しかし日常的には人々の役に立つ訳でもないものだったので、アルスーヤンはその地域では長らく地位の低いシャーマンとされていた。しかしその役割の謎故に、将来脅威に成り得るやも知れぬとして、彼女は異国の宗教的指導者たちに捕らえられたのであった。軍人として落ちこぼれであった少年は、少女が捕らえられた僧院の見張り兵となるが、次第にそのアルスーヤンの「技術」が一体何なのか、強い関心を抱くようになる。しかし唯一の生き残りである当の少女自身が、その技術の「意味」を知らされてはいなかった。そこで少年は、彼女を脱出させ、パータス高原の果ての国にいるという「いにしえの智慧の守り手」たちに引き合わせるために、旅に出る決意をする。脱出を助けた若い一人の僧が、少年にそっと告げた。「まず最初に、お前たちの導き手となるであろう男を探せ。彼は“言い直す男”と呼ばれている。」
 
“言い直す男”は、少年の国からほど近い隣国にいると聞いた。二人は隣国に逃げ延び、“言い直す男”を探すが、戦乱の渦は次第に周辺諸国に及ぼうとしていた。その頃から高原全土には薄っすらとした靄のようなものが漂うようになり、それが太陽からの光を遮るかのようにして、各地の都市を薄暗くしていた。人々はこれらの変化・変動に不安を抱き、様々な預言者の登場も相次ぐ中で、次第に互いへの恐怖と猜疑心にさいなまれるようになっていた。アルスーヤンの少女は、「靄のように見えるのは、ヒトによって形を与えられた、エネルギーだ」と少年に告げる。そしてそのエネルギーに、ヒトの内にあるエネルギーが共鳴することによって、それぞれの内でも同様のエネルギーが形を成し、それらは次第に大きくなり、やがてはそのヒトの思考を支配し、靄は世界を覆う一つの大きな霧、太陽の光を遮る広範な煙になっていくのだ、と。
 
「互いに恐怖を抱き、傷つけあうことは、無意味だ。本質的なエネルギーは、消えるどころか、さらに世界を覆い始め、ヒトを通して形を得ては、むしろ拡大していく。霧の中でこそ、暗躍する者がいる。霧を晴らす、風を起こせ。」
 
隣国で、戦乱を回避しようとする地下組織の人々と知り合った二人は、そのグループを率いる若い男が、不思議な交渉術で人々をまとめていくのを見た。彼こそが“言い直す男”であり、“言い直す”というのは、その地域で古くから伝わる、言葉によって「思考をひっくり返す技法」のことであった。「ヒトの存在自体が、壁のようになり、風を遮ることがある。だからヒトを、風を起こす一枚一枚の羽に、そして風を通す一本一本の管に、変えていくんだ。管には、連なって風の振動を大きくする役目がある。そういう小さな小さな【準備】が、これからやってくる【瞬間】を招くんだ。僕たちがやっていること、それは世界の響きを変えることなんだよ。」
 
…さて、これでこの物語の前半部分なんだけど…高校生の僕にとってはあまりにも壮大な内容過ぎて、全貌を描くには、知識や経験が足りな過ぎた。高校卒業後、どこにも所属しない宙ぶらりんな生活の中で、昼夜を問わず毎日のようにその辺をウロウロしながら空想・妄想に勤しんでいた僕は、物語が自分の中で形を成すにつれて半ば途方に暮れ、それで大学に行って、民族学社会学、心理学や哲学・宗教学を勉強することにした。僕はこの物語の映画化を目論んで(笑)、大学に行ったと言っても差し支えない。
 
この物語には、歌やら舞いやらが多数登場する。だから、僕は10代の頃から「意識的に」世界中の音楽に触れようとしてきた。まぁそういうこともあって、結果的には音楽家みたいな活動に突入しちゃったんだけど…こういう話はキョトンとされることが多いので、あまり多くの人に語ってきてはいない。ともあれ、今の世の中の状態は、ちょうど僕が見た「ビジョン」につながる、上記の物語「シーアルの陽(ひ)」の、前半部分での出来事にすごく似ているところがある。なので、久しぶりに、10代の頃に僕を虜にしていた、この「空想・妄想」の物語を思い出していた。
 
いつか、この物語を形にする時が来るのかな。 

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世の中はいろいろと騒がしいが、我が家は待ち望んでいた春を迎えている

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3月以降の仕事がほぼ全て飛んで、草刈りに精を出せたからか…花が元気(笑)

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近所の友人宅に行くと、学校が休みになって子供たちも味噌作りしてた